黄泉がえり

●黄泉がえり

監督:
  • 塩田明彦(『害虫』)
出演:
  • 草ナギ剛(『メッセンジャー』)
  • 竹内結子(『リング』)
  • 石田ゆり子
  • 哀川翔
  • 山本圭壱
  • 寺門ジモン
  • 柴咲コウ
  • 田中邦衛



うん……泣きました。
この作品を「黄泉がえらせたいと思う人がいるかどうかがキモ」と言ってしまうのは簡単です、けど……。

本作は、描写がかなりゆったりとしており、間延びしていると感じた人も多いかもしれません。カット割りや編集でテンポを上げることは容易ですが、それでは『トワイライトゾーン』や『世にも奇妙な物語』の様な「良く出来た作り話」で終わりでしょう(それが悪いと言っている訳ではありませんよ、念のため)。

映画の文法で作れば、観る側の資質を問わない感動映画にすることも出来たでしょう。しかし、そうはしたくなかった。

病院で葵(竹内結子)に向ける平太(草ナギ剛)の感情の動きも、幼いままの姿で現れた兄への弟(山本圭壱)の甘えたい心も、自殺した少年からの言葉にうずくまるイジメた側の少年の安堵にも似た気持ちも、そのどれをも観客各々の人生と共に感じて欲しかったのだろうと思うのです。



それにしても哀川翔の凄さよ。自分がいない年月の家族ビデオを見ている時に見せた一瞬の眼差しといい、時期が来た時の見事な倒れっぷりには息を呑みました。

中盤、黄泉がえりの原因が隕石と分かるくだりは、まるで小松左京作品のようでしたが、あれはあくまでもオカルト話にしない方便としてのリアリティに過ぎないので、もしも、そこを評価しているのなら本作を見誤っているので注意です。



また、黄泉がえった歌手・RUIのライブシーンの長尺が気になる人も多いようですが、確かに普通の文法で作るならば2曲をフルに聞かせる必要はないでしょう。

「主題歌になっている歌をメインに歌い上げさえすれば」
「その場面に合わせて平太の必死な姿をかぶせれば」
「クライマックスにサビのフレーズを合わせれば」

主人公のドラマを引き立てる存在としてだけならそれで十分でしょう。でも……。

登場場面が少ないので勘違いしてしまう所ですが、RUIは黄泉がえりの1人として同等に扱われた存在です。過剰に見えるライブシーンも、彼女の言葉は歌であり、ライブは人生の表現として、全てがそこに集約されていたと見るべきだと思うのです。



《ある要素》に関しては、監督のインタビュー記事で「情報を提示した上で気付かない人にはサプライズ、気付いた人にはサスペンスになるように」作ったとのことなのでネタバレは避けときます(ちなみに私は気付いたクチなもので、そのあまりの分かりやすさに書いちゃってもいいかなぁとも思ってたんですが)。



人を失った経験だけではありません。
自分の隣りにいる人を失いたくないと思う気持ち。
それを持ち合わせているかどうか。

自己とは己だけのものと思いがちです(特に若い時ほど)。しかし、他者というピースこそが自己を形成します。よく恋人を魂の半身などと比喩しますが、家族や友人、ペットの犬でも同じこと。失った時にそれまでの自分から変化してしまう存在。それを持たない人は人としてまだ未熟なのです。

経験値うんぬんなんて映画の評価とは無関係という意見も聞こえてきそうですが、人は自己経験との比較以外に評価など出来るハズもないのですから(常々、私が口にする「同じ作品でも接した年齢で評価が変わる」は本当ですからね)。

本作は観る側に委ねられた部分が大きい作品です。特に何も感じなかったのなら10年後にもう1度観ることをお勧めします。

★★★★

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