ダ・ヴィンチ・コード

●ダ・ヴィンチ・コード

監督:
  • ロン・ハワード(『アポロ13』)
出演:
  • トム・ハンクス(『ターミナル』)
  • オドレイ・トトゥ(『アメリ』)
  • イアン・マッケラン(『ロード・オブ・ザ・リング』)
  • アルフレッド・モリー(『スパイダーマン2』)
  • ポール・ベタニー(『ビューティフル・マインド』)
  • ジャン・レノ(『WASABI』)



ルーヴル美術館館長が殺害された。奇妙だったのがダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」の姿で横たわっていたことだった。ハーバード大学のラングドン教授は警察に呼び出され、捜査への協力を要請される。表向きは教授の専門分野の必要性だったが、実はダイイングメッセージにラングドンの名前が含まれていたことから警察はラングドンを第一容疑者と思っていた。館長の孫娘ソフィーの機転で警察の手から逃れたラングドン。果たして2人は暗号の謎に迫れるか……?


完全なる駄作。
キリストの扱いに対して賛否両論はあっても映画の出来自体に"賛"は決して無い。そもそも『ダ・ヴィンチ・コード』というタイトルでありながら、話の軸がキリストというのはどうなんだ?

どんな知的レベルの人間が観ても理解できるような懇切丁寧な作りが無駄に時間を取らせ、サスペンス要素をも鈍らせた。それでいて必要な情報が観客に届いているかというと、さにあらずなところが駄作の駄作たる所以。

《シオン修道会》という"虚"を原作者が知ってか知らずか説に絡めたことはフィクションとしてなら問題はない。だったら堂々と「ダ・ヴィンチやニュートンは会のメンバーだった」という大嘘を映画の軸にすればタイトルに偽りなく面白かったのに。

結局、ダ・ヴィンチの絵をひも解く部分は物語の中では取っ掛かりでしかないし、フィクションの殺人事件部分も原作者が結論に辿り着くためのつなぎでしかない。だったらダ・ヴィンチの話はドキュメント番組の類いを見た方がきっと楽しめたね(映画公開にあわせた特番があったけどそれで十分)。

以下はネタばれ無視で映画の作りに触れているので、映画鑑賞前に読みたくない方は気をつけて下さい。



冒頭のソニエール館長が追われる映像は予告編で見た時もモタモタして緊張感に欠ける映像だったが、本編でもやっぱりそのままで愕然。殺されるまでのサスペンス度が皆無ではこの後の展開も知れているというもの。

ソニエール館長が殺されたことでラングドンがルーヴル美術館に召還された時、ガラスのピラミッドのオブジェへの触れ方が露骨すぎてスマートさに欠ける(※後述)。

ソニエール館長が自らの体をダイイングメッセージ化する手間に疑問。館長以前に3人が殺されていることで館長も身の危険を感じ、前もって館内にメッセージを用意しておいた……ってことなら分かるのだが。死ぬ間際にはそれらメッセージへの最初のヒントとなる「ウィトルウィウス的人体図」を自分の体で表すだけでいい。

またダイイングメッセージの性質上、犯人の手の者には解読されないようにしたかったはずだが、わざわざ裸になるのは逆に分かりやすすぎる。ならば服を着たまま自分の回りに「ウィトルウィウス的人体図」に見えなくもない図形を書き残し、同じポーズを取る程度に押さえるべき。この人体図ネタは完全にインパクト重視でしかない。



トイレでソフィーからラングドンが自分が容疑者であることを聞かされる場面ももっと盛り上げようはある。

ラングドンの位置を知らせる発信器がいつまでもトイレから出てこないことに業を煮やし、ファーシュ警部がトイレに向かう。警部がトイレに入る寸前、発信器をモニターしていた部下からラングドンの発信器が窓から外に飛び出したという無線連絡がくる。慌ててトイレに飛び込んだ警部の目に窓の外を走り去るトラックが目に入り、部下に追うように指示。自らも追跡に向かう。警部がトイレから出ていった後、ラングドンとソフィーがトイレの個室の扉の後ろからそ~っと顔を出す、という常套手段で十分。



ソフィーの家の前でのカーチェイスも無駄に派手にしているだけ。ソフィーがルーヴルに派遣されていないことぐらいバレていると読んで、自宅を避けて逃亡するぐらいは登場人物にはしてほしい。

同様に、謎の数字が銀行の貸し金庫のパスワードかもしれないと推測した上で銀行に乗り込んでほしい。銀行の支店長(だっけ?)に不用意に質問するなんて愚の骨頂。

警察に囲まれた銀行から脱出するために支店長が運転手に扮した場面では盛り上げ演出を放棄したとしか思えない。腕時計のやり取りが完全に死んでいる。冷や汗をかかせるぐらいしようよ。脱出後の後部扉でのやり取りも間延びしている。薬莢はちょっと蹴るぐらいで十分。扉が閉まらない段になって観客がハッとするように見せなければ意味がない。



ティービングの屋敷での自説の披露場面はどこぞのドキュメント番組の一場面的で物語の停滞を誘う。それというのも逃亡中なのにのんびりとソフィーに逐一解説するから。ラングドンはティービングの読み解き方は周知しているのだから、彼だけでももっと逃亡に必死になっていればもう少し引き締まった場面になったはず。

自家用ジェットの着陸時の警察は無能すぎる。まるで車を調べないとは。ジェット機から降りるトリックの単純さこそが人の目を欺くのだというのなら、それ相応に観客の目も欺いてほしい。

裏で事件を操っていた者の正体の明かし方に何の工夫もない。ここをクライマックスにしてこそなのにグダグダ(最後の礼拝堂での謎解きはあくまでもエピローグ)。ソフィーが足跡を見つけた瞬間、真犯人が喋り出し、ハッと振り返ると……ぐらいしてほしい。



最後の礼拝堂での謎解きは手短に済ませるべき。ダラダラと見せられてはラングドンとソフィーが部屋を後にして礼拝堂に戻ったときに村人に囲まれていてもドキドキしない。2人が部屋に入った姿を見て村人を呼びに走る神父(?)。2人が謎解きをしている間に集まる村人。そして2人が部屋を出ると……というテンポがほしい。



そして、最後の最後、マグダラのマリアが眠る場所の推理が大オチとして用意されているが見せ方が悪い。しかもCG技術の悪い利用の典型で、頭の悪い人にも分かりやすいように具体的に見せてくれる。

そもそも映画の導入部を昼間のルーヴル美術館にし、団体観光客相手にガイドが館前にそびえ立つガラスのピラミッド(&逆ピラミッド)を紹介。そこから館内の名画をバックにオープニングタイトルを作る。伏線はこれだけで十分。ラングドンにピラミッドを語らせる必要はない。

ソフィーと別れて、1人パリに戻ったラングドンは足元のローズラインに気付き、ハッとする。胸ポケットからパリの地図を出し走り出す。そして彼が立ち止まった場所は……。トム・ハンクスの背中越しにカメラが上昇。ラングドンの前にはルーヴルのピラミッドがそびえ立つ(ここ、壮大な音楽被せてね)。ゆっくり歩を進めるラングドン。カメラは逆ピラミッドを捉え、地の底へ。そのままフェードアウトでFIN……でいい。

具体的に見せてしまえば全てがただのフィクションで終わってしまう。最後に「もしかして……」という余韻を含ませれば遠い過去に思いを馳せることもできたのに。



以上、"こうしたらマシになるでしょう話"でした。

駄作駄作駄作駄作駄作駄作駄作駄作駄作駄作駄作駄作駄作。
大作担当中身なし監督のレッテルを貼るよ、ホントに。

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