矢部つづき

とりあえず前回「矢部×破局×ネタ」を前フリにしようとした話を書ききっておこう。



矢部破局をネタにした「めちゃイケ」を見ていて感じたのは、番組全体における異常ともいえる仲間意識。これは先日の紗理奈ドッキリだったり、オファーシリーズ系のいい話でまとめる企画などを見る度に感じていたことですが。

何かにつけ自己賞賛する姿勢は既にお笑い番組として終わっていると思う。

「武士は食わねど高楊枝」

でも彼らは高楊枝をくわえておきながら「俺、高楊枝してるけど実は何も食ってないねん」「でも高楊枝やねん、凄いやろ」と、武士のプライドを満足させながらそれを隠す努力まではしない体たらく。

まあ既にお笑い番組でなくなったというなら仕方ないけど。



これはめちゃイケに限ったことではなく、世のTV番組の多くはTV画面の中だけで完結しているものが多い。その場にいる出演者同士が楽しむだけで、視聴者に向けた物作りというものが見受けられない。

最近多いのが芸能人がお手軽に町をぶらつくロケ企画。それも芸能人同士でゲームという名のお遊びをやり、ご褒美や罰ゲームと称してスイーツ等を頬張るものばかり。このご褒美システムは、もうひとつTV画面の中に増えた「雑学or常識クイズコーナー」でも健在で、こちらも芸能人らが自分たちが楽しむ姿ばかり。

そうした芸能人たちの素の姿を見せることも娯楽のひとつではあるけれど、それを安易に右に倣えで世に反乱させることは創造的仕事では決してないでしょう。



そもそも王道たるメジャー番組に対する、低予算を逆手に取った雑なマイナー演出がそれだったのに、費用対効果が高いことから皆がそっちに安易に流れてしまった。スタンダードあってこそのアンチテーゼが、そのスタンダードを消してしまってはただの雑な物作りでしかない。

そしてそんな雑さをカバーするかのようなごった煮感。ひとつの番組が何かに特化することなく、あらゆる要素を含ませることでリスクを回避しているものばかり。無駄に多い出演陣、番宣ゲスト、旬の芸人のネタ披露、雑学クイズ(脳トレ)、ロケ、グルメ、ランキング……などなど、これらを組み合わせて番組は作られてばかりで、だからどの番組を見ても同じにしか見えないという。



TVの世界は視聴者層を区分けし、特定のターゲットを想定した番組作りがなされているはずなのに、中身はどれも似たり寄ったりという矛盾。効率を優先して自分たちの世界で完結させる作りを選んだTV業界。いやメディア界全体というべきか。

宣伝目的に芸能人に与えて量産されるナントカ賞しかり。
誰それさんがどこぞのビデオクリップに初出演、スバラシイ。
誰それさんと誰それさんが連ドラ初共演、スバラシイ。
誰それさんがアニメの声優初挑戦、スバラシイ。


自分たちの世界を自分たちで褒め称えるメディアミックスという名の寄りかかり。昔は良かったとは言わないけれど、各メディアで世に出たものが社会というフィルターを通り抜け、評価されたものが別メディアで取り上げられる時代の方が健全であった。



安彦良和さんの某コラムで、○○王子華やかなりし状況から「有名病」「目立ちたがり病」と称して、陰惨な手段に走る若者のことに話を広げていたけれど、それはTVメディア全体が社会との関わりを捨て、自己完結に走っていることも無関係ではない。

使い勝手のいい女子アナの芸能人化や報道番組のバラエティ化で、TVの良心であるべき報道番組すら「社会の窓」として機能していないのが現状で、それでも今の世でTV画面に映し出されるものはやはり世界の全てと同義と見なされ、その世界が排他的であれば、弱い人間の心を折ることは容易いのである。



……なんか上手くまとまらなかったけど、もういいや。

予算の少ない中で視聴率を確保するための答えが今のTVであり、制作スケジュール、芸能人の確保、スポンサーへの保険などから前述した要素の安易な番組の氾濫はおさまりようもなく、もはやそこに社会は存在していません。

それでもくだらない価値観を刷り込ませるだけの力は変わらず持ち得ていることが問題であり、前フリで書いたところで言うなら、めちゃイケの一介の芸人がその一端を担うことなど想像もしていないのでしょうが、そうした積み重ねが大きな影響を与えているわけで。

マインドコントロールです。
そんなTVが垂れ流す戯言なんぞ無視しましょう。
書を捨てよ~ならぬ「TVを捨てよ、町へ出よう」ですな。

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