252 生存者あり

●252 生存者あり

監督:
  • 水田伸生(『舞妓Haaaan!!!』)
原作:
  • 小森陽一(『海猿』原案)
脚本:
  • 小森陽一
  • 水田伸生
  • 斉藤ひろし(『鉄人28号』)
出演:
  • 伊藤英明(『海猿』)
  • 内野聖陽(『風林火山(TV)』)
  • 山田孝之(『電車男』)
  • 香椎由宇(『ローレライ』)
  • 木村祐一
  • MINJI
  • 桜井幸子(『高校教師(TV)』)
  • 杉本哲太(『日本の自転車泥棒』)



アメリカ測地学会・コックス博士はシミュレーションの結果、日本が沈没する可能性を示した。日本の寿命は40年。だが、その数字に異を唱える者がいた。地球科学博士・田所雄介。彼のチームが独自に調査した結果は──338.54日。列席の他の科学者らは一笑にふした。しかし現実には予想を上回る被害が起こりはじめるのだった……。


これは紛うことなきパニック映画だ。

もちろん登場人物らがどれもこれも感情に任せてガーガー喚き散らすばかり、という意味においてですけど。

公開時に金払って観る気になど到底なれず、DVDをレンタルするのももったいなく、先日、TV放送された際に観賞。それも金曜ロードショーが25周年を記念して往年のオープニングを流すというから録画したに過ぎず、ついでに本編も観てみた次第。

元が2時間超の尺なので相当カットしてあるとは思いますが、それでわざわざ本来の仕上がりを確認したくもならないため、TV放送版で語ります。



主人公から気象庁の脇役に至るまで、登場人物らが皆テンション高く台詞を吐き、あたふたと物語が進んでいくので、ずっと胸がモヤモヤし続ける。気象庁内のシーンなどただただ職員が右往左往しているようにしか見えなかった。

香椎由宇演じる気象庁職員が担当部署を越えて現場に駆けつけるのは、ある種、ハリウッド映画的ではあるけれど、それをするならもっとハリウッドに倣い、レスキュー隊をある程度ボンクラに描かなければ成立しない。確かに終盤、レスキュー隊員らは感情に流されて行動し始めるが、彼女も同じベクトルでトンデモ作戦を立案してしまうのだから困ってしまう。ラストで命を背負う覚悟がなかった自分を責めるかのような描写もなくはないが、そこにドラマは練られていないので無意味だ。

主人公の妻は、娘を見失うわ、呆けるわ、暴走するわで特に酷いけど、桜井幸子による主人公の妻というポジションではない「聾唖の娘とはぐれた一般人シングルマザー」にでもすれば存在意義はあったかもしれない。今のままでは「レスキュー隊員の夫が死ぬのが嫌だから転職させた→娘生き埋め(夫もいるかも)→レスキュー隊員は命賭けて娘と夫を救え」という自分勝手な思考で酷すぎる。最後も救出作業無視で娘に駆け寄る自己チューさで、徹頭徹尾邪魔な存在でしかない。

前述の感じで聾唖の女の子が主人公と無関係になれば、主人公が娘と都合よく合流する作り物くささも無くなる。もちろん主人公の娘でも構わないのだけれど、娘が別個に偶然助かって合流するのではなく、主人公が守り、最初から父娘で行動している中に他のメンバーが合流する流れであればご都合主義感も避けられたと思う。



木村祐一演じる大阪人が都合のいい発明品を持っているのもこの際置いておくとしても、その説明描写が「いかにも伏線でござい」という見せ方で苦笑いしか出ない。

負傷した韓国人女性に輸血する場面は、劇中で山田孝之演じる研修医が言うように漫画じゃないんだから。作劇のスタンスがハリウッド娯楽作の体であれば成立するけど、真面目なドラマ路線で作っている本作では浮いている。ちなみに韓国人女性の弟が死んだ話っていらないよね。



新米レスキュー隊員が感情に走るところまではキャラ造形として理解出来る。無闇に命を賭けるのはただの自己満足(もしくは自己欺瞞)でしかなく、その上でベテラン隊員からレスキューのなんたるかを教わったりするものだが、本作ではその感情論をたしなめる思考が存在しない。

「命賭けましょうよ」→「妻子を残して死ねない」
「じゃあ妻子が埋まってたらどうよ」→「アーアーキコエナイ」

このやりとりをはじめ、本作には「身内に置き換えて考えてみろ」という理屈しか存在せず、そのせいで最終的に「身内だから助ける」という感情論で行動しているようにしか見えなくなる。それこそレスキューの精神から最も遠いだろうに。



描写不足についてはカットされたことに起因しているかもしれないのでコメントは避けますが、根本的に災害の全体像の描写が欠けているのでクライマックスで台風の真っ最中に危険な賭けをする意義がまったく感じられない。主人公らの避難した場所にしても広々とした快適空間で、地盤崩落の危機を感じるのは水が漏れだす場面だけ。それも娘がいる一角が崩れただけでまた安定するのだからどうしようもない。

クライマックスの爆破作戦を実行に踏み切る判断が「下には元レスキュー隊員の弟がいるから要救助者がいれば安全な場所に誘導しているはず(←希望)」という無茶。カットされてるのかもしれないが、そもそも、いつそこに主人公がいるという確証を得たのか。まさか252の合図だけで思い込んだわけでもなかろうが。

逆に主人公も地上の気象等の情報がまったくないのに、何故、救出作戦が「爆破で進入路を作る」という緊急措置だと判ったのか。ドリル音=爆薬のセットだという判断? 結局、台風はあっさりと通り過ぎるので、無理に爆薬使って地盤を崩す必要はなかったとしか思えない。まるで『デイ・アフター・トゥモロー』だ。

最後の母娘の対面シーンは「泣かせ」のために作ってあるが、前述した通り、その行動(及び周りの人間)に呆れるだけ。この映画では何かといえばスローモーションが多用されるが、この場面ではさらに穏やかなBGMを被せ、感動場面にしようと意気込んでいるのが見え見えで笑える。抱きつく瞬間、娘の腰が引けているのもバッチリ見えるためなおさら。



最後の最後は奇跡のオンパレード。死んだと思ったら生きてたを繰り返されて馬鹿馬鹿しくなる。あのオチはスタローンかシュワルツェネッガー主演だったら許されるが、湿っぽい身の上話を語るばかりの日本映画で唐突にホラを吹いた感じ。聾唖の娘と同期させて感動させようと目論んだのかもしれないが、娘のアレも予定調和でしかない浅はかさ。

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